2007年06月06日

スーパーカー

 6/3大森興行の後ディファ有明で開催されているM−1観戦にも同行させてもらった。
試合内容などは他でどーぞ。

 会場の盛り上がりやムエタイの強さに改めてビックリだったが、ファーストインパクトは会場入り口に停めてあった高級外車の群れ・・・ランボルギーニが4台くらい並んでた(驚)
この形は昔はランボルギーニ・カウンタックと覚えているけど・・・今は後継車でディアブロに変わってるのか・・・(ガキの頃カウンタック言えなくてカンタックって言ってたな)
スーパーカーブームって1970年代後半だったっけか?
この頃はランボルギーニ・カウンタックが一番人気だったなぁ。
自分もブームに流されたお子様の1人だったが、友達同士で
「スーパーカーで何が好き?」という話になると、ほとんどが「ランボルギーニ・カンタック」と皆が答えるので、自分は
デトマソ・パンテーラ(何となく言葉のゴロが良い気がした)
ランチア・ストラトス(早口で言うと何となくおもろかったから)とかを答えていた。
別にかっこいいからとかではなく、ただ車名を言いたかったからだけなのではあるが・・・それで大抵「何それ?」と言われた。(またそれが楽しかったりする←かなりひねたガキだ)
色んな車の外観は覚えていたけど、何馬力だとか何気筒だとかは全然詳しくないので、詳しいヤツ(たまにそんなやつ居るんだよな)に突っ込まれると「ぼかぁ何キロでるとか興味なく見た目が好きなんだ」と言ってたなぁ(笑)。
ガキの頃は見かけると「うわ すげぇ」なんて思ったけど・・・年取って自分で金稼ぐ様になってからは・・・どうせ高いんだろう・・位しか興味が無くなってしまった。車詳しい友人などと一緒に居て、スーパーカー(今はそんな風には呼ばないか・・)→高級外車を見ると「アレいくらくらい?」と聞いて「○千万」とか教えてもらうと「へぇ」で終了。
それ位しか思わなくなってしまったなぁ。
 昔、遊園地のイベントで「スーパーカーが来る」とかいうのやってて、家のカメラ借りて友達と写真撮りにいったりした。
レンズのキャップ付けたまま写真撮っていて、途中で気が付きキャップはずし撮ったのは良いが、フィルムが全然無くならない・・・えらくたくさん撮れるフィルムだな・・
と思って帰宅して手動で巻き戻そうとしたが、全然当りというか巻くヤツを回しても手応え無くスカスカ
・・・思い切って開けたらフィルムが入ってなかった何てことあったな。当時のカメラってレンズにキャップしたままでもバシャバシャ撮れたし(それで現像したら全部真っ黒だった事も)、フィルムが入っているかどうかも開けないと解らなかったし、自動巻なんてのもまだ無かったからなぁ・・。巻き戻し終わったと思って開けたらまだ途中で台無しにしてしまったり・・。フィルムもハーフとかで例えば24枚のフィルムを使用するとハーフなので通常のフィルムの半分を使用?つまり24枚撮りで48枚撮れるものであった・・・。
そういやデジカメも数年前まではフルに充電しても連続撮影すると10分くらいで充電無くなったりしたものであった。
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2007年05月21日

休日練習で生活リズムを改める その1

 またしても眠れない。
明日(というか今日)はジムコーチ&会社なので早めに布団に入ったのは良いが、
「やっぱりマウスピース作りに行くの面倒くせーな、いや、やっぱ今後マス相手する時に歯のこれ以上破損防止の為に必要だろ・・・」
に始まり
「何でガキの頃の変な思い出があの時蘇ったんだ?」
と過去の記憶をたどっている途中・・・
「そういや昨日ジムのロッカー整理していたらAOK氏から引っ越しの際身辺整理の為(?)にもらった麻雀牌がまだ入っていたなあ・・・
それに会社の机の中にもこれまたAOK氏から中国土産でもらったちっちゃい麻雀牌が入ってんだよな」
・・家にも麻雀牌はあるのし3つも使わないので持ち帰るの躊躇しているんだけど・・・かといってジムでも会社でも使うわけ無いし(当たり前だ)
「そういや麻雀牌を使っての麻雀なんてここ数年やっていないな・・・」
何て思ったら、
「ああ、そういえば今の会社に入ったのは昔今の会社にいた大学の友人(麻雀仲間)の紹介で入ったんだよな・・・今他の部署にいる人間とも自分が会社はいる前に既に麻雀仲間で知り合いだったんだよな・・・」
・・・きりがないのでこの辺で止めとくが、
マウスピース→ガキの頃のゴム味=ジム=ジムロッカー→麻雀牌=会社→友人→入社の思い出となり、無意味な記憶の連鎖が止まらなくなった。
その後も(脳内で)色々な展開をみせ最終的には、
「(ガキの頃飼っていた)セキセイインコをからかうつもりで舌を出したらクチバシで舌を思いっきり噛まれ出血し、(そこはベランダという事を忘れ)お仕置きしてやろうとカゴを開け捕まえようとしたらスルリと逃げられてしまった」の思い出で
インコがカゴから青空に向かい飛んでいく姿を呆然と眺めていた自分を思い出していたあたりで『ハッ』と我に返り時計を見たらこんな時間になっていた。
・・・もはや思考を停止して睡眠に突入するのが不可能な状態になり、その上最近めっきり忍耐力が無くなったのでこれ以上我慢して布団に入り続ける事ができなくなり起きあがりPC始動。

ということで
「休日練習で生活リズムを改める その1」
はあえなく失敗という事になった
(またのチャレンジ待ってるぜ〜また来週〜)。
 これで明日仕事の為眠れず、帰宅し耐えきれず寝てしまい、また夜眠れずの悪循環始動スイッチオン・・・
・・・とまあ悪い方にばかり考えても何も変らないし、全く眠れていない訳ではなくリズムがずれているだけなので(そう思いたい)慌てずうまく調整していくとしよう
・・・ってそれが出来なかったという事を今こうして書いているんだが・・。
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2007年05月15日

朝イチ

 また眠れず朝にやっと眠りかけた頃携帯のメール着信・・・
寝ぼけながら見ると友人から、
「太陽の塔は大阪万博だぞよ」
・・・何を言って居るんだ(取り敢えず無視し睡眠続行)
・・・昼に起きて思い出す、
ああ、前日の管理者記の事か・・・ちゅうか朝一にわざわざこんな事メールしてくるなよ(他の必要な連絡はよこさねークセに)。
(眠りを中断され素直に訂正するのもシャク触るのでネタにしてやる)

・・・確かに故:岡本太郎先生作の太陽の塔は大阪万博・・・
言い訳するとつくば万博にも岡本太郎先生の作品があるらしいというのを聞いた事があったので・・・つくば万博には行ったが見た記憶はない。
(大阪万博はさすがにまだ生・・・あ、ちょうど生れた年だ)

03.jpg 「未来を視る」
↑つくば万博にも岡本太郎先生のモニュメントはあったのだが、これと勘違いしていた。これは「未来を視る」という作品らしい・・知らなかった。


04.jpg 「太陽の塔」
岡本太郎先生といえば
f9342755.jpg
「近鉄バッファローズのマーク」

06.jpg 「顔のあるグラス」
昔ウィスキーのCMで「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」
と言っていたり、「芸術は爆発だ」とのコメントが有名だったが
自分は何故か
05.jpg
「座ることを拒否する椅子」

これが印象に残っている・・・
昔どっかの美術館だかに展示されており、実際座ってみたが本当に座りにくく、ガキの頃「椅子と言っているクセに座ったら座り辛いじゃねーか、あ、だから拒否するのか?」等と不条理というかなんというか変な気持ちになったことが記憶に残っている。
しかし・・ウン十年経った今、ただ綺麗とかカッコイイとかの作品よりもこれが強烈に印象に残っているという事が
・・岡本太郎先生の言うこれぞ芸術なのだろうな・・等と今思ってみたりする。

もう一つ間違えた理由・・・太陽の塔拡大画像
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2006年11月14日

あ、

重複直そうとしたら全部消しちった・・・
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2006年09月03日

夏といえば花火っしょ

 なんてタイトルは、キャラにそぐわないのでこんなノリはタイトルだけにしておいて・・・。
・・・ちょっと前にニュースで打ち上げ花火で不発の花火を覗きに行ったらいきなり発射し頭に直撃し死亡なんて記事があり気になっていたので・・・花火というか火薬?について色々思い出した・・・。
 花火といったら子供の頃であれば夏に家族で・・・とか、もうちょっと大人になれば友達や恋人と・・なんてきれいな思い出の人が多いかも知れないが、自分は花火と聞いたら=いたずら・危険な遊び道具・・という事を思ってしまう。
 例によって悪ガキの頃の話だが、当時駄菓子屋や町のオモチャ屋で売っている花火系で一番ポピュラーなのが爆竹。
backtick.jpg爆竹
点火してぶつけ合ってもよし、爆発するまで持って度胸試しするもよし、色々なモノの破壊を試みたりもした。
束に火を付け平然と持っていた友達がいたが、それを見て「こいつは男だ」と皆でたたえ合ったものだ(どんな遊びだ)。
nezun.jpgネズミ花火
ネズミ花火も爆竹についでポピュラー。これは火を付け下に置くと回転しながら爆発する。何処がねずみなんだか分からないが・・これも爆発する前に捕まえるということをやったが自分は成功しなかった・・。
次ぎにポピュラーなものがこれ
rocket.jpgロケット花火
ロケット花火、これは空き瓶や空き缶に棒をさし上に向け点火すると空中に発射し爆発するというものであった。
しかしこれもただ打ち上げるだけではつまらない、最初は地面を走らせる位だったが、しまいにゃ公園等広場でじゃんけんで負けたヤツがとにかくダッシュで逃げる所まで逃げ、10秒後にそいつに向かって発射・・・という恐怖の遊びになっていた。
これはもう・・じゃんけんの時からハラハラドキドキである・・・ってこれって今考えたらマジで危ないぞ・・・直撃したらどうなる・・って考えてなかったんだろうな・・・運がよいのか一度も直撃した人間は誰も居らず怪我人も居なかった。・・・自分がじゃんけん負けた時、必死で逃げ(ルールは絶対振り返らない事)、「点火〜」という声にドキリとし、「シュー」という花火の威嚇音が響き、自分の顔の真横を通り過ぎていった時はまさに恐怖だった。
しかしこれらは点火するにはライターが必要で、当時ライターを持っている自体あまりできず(当たり前だ)、学校に持って行くにはちょっと不都合であったので点火不要のおもちゃ(火薬)になる。
kansyaku.jpgクラッカーボール
いわゆる「かんしゃく玉」。これは強い衝撃が加わると爆発する・・・といっても音が大きいだけで煙がちょっと上がる位でたいしたことはないのだが。カベなどにぶつけて破裂させる。
これを応用させ良く机の足などに仕掛けパンと破裂させるどっきりや、ガムテープで床に貼り付けておいて誰かが踏むのを待つ地雷などをやったものだが、先生が居るときに仕掛けたのを撤去し忘れた馬鹿がいて破裂させ、またそいつが全部すらすら吐いて仲間を売りやがって(笑)職員室に関係者全員呼び出され大目玉を食らった・・いやあ・・あの時は本当に怒られた(笑)。

ピストルのオモチャでも火薬入りのものもあった。
bicgun.gifビックガン・・結構有名だったのか他のサイトでも語っている人がいた・・勝手に画像拝借
弾と一緒に火薬の入ったカートリッジを入れ「パン」と破裂させる。
弾はほとんど意味が無く火薬の「パン」という音は立派だが、弾は力無くすぐ下に落ちた・・・これでロシアンルーレットをやった時、こめかみに当てた状態で引き金引いてしまい、2,3日片耳が「キーン」と言ったままの事もあった。
kayaku1.gifこれなんて名前なんだろう
こういった火薬もあり、突起部分に火薬が仕込んであり、ここに衝撃を加えると音が鳴るというヤツであった。
これも色々応用可能、ドアの当たる部分に仕掛けたり・・・今思い起こしてもほんとしょうもない悪ガキ共であった。

 悪ガキ同士の情報交換で、湿ったマッチはもう使えないと思っていたが、乾いても自ら発火するのは出来なくなっても火に当たれば普通に燃え、火薬の色によって発火する色が微妙に違う事を知り、一時期みんなでマッチ棒を集め、濡らして木の部分から火薬を剥がし、火薬だけを固めて玉を作りストーブの上(ヤカン等をおける部分)に載せ、発火の大きさと色を競い合った事があった。
(ストーブ・・・当時は暖房器具と言ったらストーブしかなかった・・今じゃ学校にはストーブなんて無く温風ヒーターとかなんだろうな・・・そういやこの頃って石綿(アスベスト)って思いっきり使ってたな)
これも数名で競い、家からマッチを持ってきては水で濡らし火薬を外し固める等といった作業を休み時間にやり、ちょっとした花火職人の気分で遊んでいたことあった(勿論先生にばれたらマズいというスリルも含め←バカ)。
火薬も大きくなると水だけでは固められず接着剤等を使い固め、種類によって発火する色が微妙に違ったりすることも発見(こういった馬鹿な事はどんどんレベルアップしていった)。
しかし、やはりバカがいた。
彼(Y君)は高級住宅街に住みおぼっちゃまでイイ奴なのだが、勉強は出来てもどこか抜けた所があった。
その日は彼が管理していたのだが、理科の授業で理科室に移動しての事。
アルコールランプを使った実験中に一つのテーブルから炎があがった。そして女子が「キャー」と騒いだ・・・彼だ・・・その瞬間我々火薬作成班同士顔を見合わせた・・・まずい見つかったか?と思ったが、先生にはアルコールランプがいきなり発火したと適当にごまかした様だ・・・そいつ・・・湿らせて固めた火薬の玉をアルコールランプの炎で乾かそうとしていたのだった・・・
本人曰く「発火する直前(=乾ききった時)に取ろうと思った」
・・・こいつ・・バカだ・・・というか彼はモノの仕組みを理解して今まで作業していなかったという事が発覚・・・それが分かった時は既に遅し・・・我々の苦心の火薬玉は燃え尽きてしまっていた。
さすがに怒る気も失せ、どうだった?と聞いたところ、
「綺麗で大きな火があがったよ」とコメント。
(怪我無かったか?とか他の人にバレなかったか?という意味できいたのだが・・・)
多分今は立派な父親なのだろうなぁ・・・。
posted by 昼間部 at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 思い出

2006年08月08日

賭けるものについて考えるA〜

 前回は幼稚園児の頃の遊びについてのリスクと得るものについて考えた(そんな言うほどたいそうなモノではないが)。
で、どんな事をして遊んだか・・・記憶は小学生低学年にさかのぼる・・・。
 思えば小学校低学年からいつしか遊びにギャンブルがついて回る様になり、各自モノを持ってきて遊ぶゲームとなると大抵賭けが絡んでいた。
まあ、一般的に知られる子供の遊びとしてビー玉やメンコも流行った。
(今はないんだろうな・・・)
知らない人が見ると、きっと懐かしい遊びをしているなぁ・・位に思っただろうが、ここにはガキ同士の熱い勝負と駆け引きが存在していた。勝った方がそれをもらえるのは当然だったし、取られない為に、そして奪うために技術を磨いて皆で切磋琢磨したものである。
これらの遊びは勝負自体も面白かったが、負けたら無くなる、勝ったら得る・・・オールオアナッシングという面白さ・・・そしてガキの中ながらも様々な人間模様を見ることができ楽しかった・・。
 自分の手持ちが無くなると潔くあきらめて帰る者、好調時は上機嫌でおしゃべりが過ぎるが負けが込むと機嫌が悪くなり黙り込む者、負けて手持ちも無くなりどうしようも無いのに未練がましく勝者の周りをうろついているもの、勝者をおだてて何とかおこぼれや情けをかけてもらおうとする者・・・そういった人間模様をみるのもまた楽しかった・・勿論これも当然自分が勝っている時だけの話だが・・負けているときはそれどころじゃない。
 たかがメンコとはいえ厳しい実力社会、勝ち組と負け組に別れるのは当然の事、やはり大負けする者がでてきてある問題に発展。
負けが込んだ子の親が先生に
「メンコを買ってくれとせがまれて買ってやると翌日にまた買ってくれと言ってくるので、誰かにとられているんじゃないか?いじめでは?」
と連絡を入れたか父兄会か何かの時に話題がでたらしい。
当初は教師も我々がメンコをする姿を見て「メンコっていまだに流行っているんだねぇ・・」等と我々に話しかけてきたくらいだったのだが、まさかここで賭けが行なわれているとは思わなかったのだろう(女の先生だったし)
・・・しかしこうなると放っておくことができず、関わっていた者が呼び出され怒られる。「勝負だゲームなんだ」等話したが、「それは分からないでもないけど・・・でもやり過ぎ」と聞き入れてもらえたのかもらえないのか禁止令が発令されるのである・・確かに学校でやらなくても放課後外でやれば良いのだが・・・まあやっていたけど、それでもやり足りなかったので(笑)。でも、学校で禁止されてそれにちゃんと言うこと聞いて辞めるというのも今考えればかわいいもんじゃないか僕たち。
 その後も色々と賭けの遊びを行なったが見つかると大抵禁止されてしまった・・・まあこれは禁止されりゃ次の遊びはじめ、それを禁止されりゃまた次の・・・と、イタチごっこなんだけど。
 
 運動会について
各競技に参加する人がその競技を練習するのは分かる。
納得いかなかったのが応援。これも、こういう風にやりましょう・・程度で数回行なう・・位なら良いモノを、炎天下で何時間も何回も毎日やらされた。声が小さいと体育教師が「オメーラ声が小さい・・やり直し・・」怒られるのが嫌なので声をだす・・一体何を応援、いや何のための応援なんだか・・。これで何の精神を養うのだろうか?まあ、大人のみせかけの理由を付けるとすれば「皆で声を出し合って一生懸命応援し心が一つになった運動会」みたいな感じなのだろうか。
 そもそも小学校の頃も運動会の「赤勝て白勝て」の無償の喜びの為の応援に嫌気がさしたものだ。勿論全否定のつもりはない、友達が競技に参加していたら「それいけ、追い抜けぶっこぬけ」と応援したものだ・・応援ってこういうものじゃないかと当時も常々思っていた。

・・炎天下で応援の練習等させられ、学校帰り道我々学校帰りに、「なんでこんな事やらにゃいかんのだ、勝った方が『朝礼でなくて良い権利』や『遅刻・早退優先権』みたいなのくれりゃ頑張ったのに」
・・等口々に言っていた。
しかし教師もさすがは大人・・我々悪ガキのこういった態度や意図を見抜いてか、我々が悪さをして呼び出され怒られた時にある交渉を持ちかけてきた。「今回の件は条件付で許してあげる」ときたもんだ。
その条件とは、「運動会の応援を先頭に立って一生懸命応援すること、その態度が見て取れなかったら許しません。」
我々はこの取引に応じた(警察と司法取引に応じる容疑者か)。
ええ、そりゃ一生懸命応援しました(この辺がまだガキ)。

えと・・なんでまたこんな事書いたのかというと
「またスロ負けたから」というのは言うまでもない。

〜運動会ついでにおまけ〜
徒競走で足の遅い子がおり、他の子等に思いっきり差をつけられてぶっちぎりでビリになり、ゴール時に観客が拍手をして迎えるという(偽善)感動的シーンが良くある。
当時も同じ目に遭い拍手された友達がおり、後で話したところ
「その拍手がもの凄く嫌だった・・・」
と言ったのに対し、それを聞いた他の友人が
「拍手している人達はそうやるのが好きなんだよ」
と言った。
最初は「何を言っているんだ?」と思ったが、しばらくして「はっ」とさせられた(お前等本当に小学生か?)。
でも、自分等も今じゃ拍手する側なんだろうな・・。
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2006年08月01日

賭けるものについて考える@ 

かと言ってギャンブルは「好きでたまらなくのめり込み金をつぎ込んでいる」という程でもないが、全くやらない人に比べればやっている方ではある。
(通算すれば凄い負け額になるのだろうという事は考えないことにして)
と言っても今やっていると言えばパチスロぐらいなもので大したことはない。それに得意でもなく遊びの範囲でとどめている(つもり)・・たまに負けが込み遊びの範疇を軽く超える事もあったが・・まあ、なんかずらずら書いていると非常に言い訳がましいので現在のギャンブル状況は置いておいて(笑)。
 そもそも、ギャンブルって「金銭を賭ける」というイメージだが、お金以外に「品物」や「罰ゲーム」といったものを賭けることも立派なギャンブルと考える。まあ、そういったものも含めて好きか嫌いか・・・と言えば好きな方かな?・・・で、いつ頃から好きになったのか考えてみる・・・。
 
 一番最初に遊びででも「遊び(勝負事)=賭けが成立しないもの」に対して疑問を思ったのが幼稚園の頃、それまでは勝負事でも別に何を得るというものでなく「やったぁ勝ったぁ」だけの無償の喜びだけで充分であった。
 当時自分が通っていた幼稚園は小学校と一緒の校舎で校庭も同じ(新宿のど真ん中でコンクリートの校庭だったが)、休み時間などに一緒に遊んでもらったりしていた。
そこで「鬼ごっこ」や「高鬼」をやったりしてあそんだのだが・・・
・・・ふと思う、今の子ってこういった遊びは知っているのか?
やったことないんじゃないのか?・・・ので一応簡単な説明
(その地方や場所によってルールや呼名が違うことでしょう)
 「鬼ゴッコ」・・・じゃんけんで負けた人が鬼になり、逃げまどう人を捕まえるというもので、捕まった人も鬼になり、どんどん鬼が増えていき逃げる人間を追いつめる恐怖のゲーム(本当かよ)。
または捕まえた鬼と捕まった人で鬼が交代の場合もあり(普通はこっちがスタンダードだと思う)。
 「高鬼」・・・これは基本は鬼ごっこと一緒だが、鬼の居る地面より高い場所は安全地帯で鬼は捕まえることが出来ない・・・これもずっと同じ所に居てはラチがあかないので安全地帯の滞在は何十秒まで・・等のルールもあった。
(ルール説明したところでこれを子供が読んでいる訳ないだろうが・・と思ったがまあいいや)

で、我々幼稚園児(勿論当時の話だ!!)と小学生が鬼ごっこをすると、我々が鬼になったところで体力の差があり捕まえることはできない、じゃあ追われる方になっても逃げ切ることができずすぐ捕まってしまう・・・というので、いつのまにか「ミソッカス」ルールというのがあった。
恐らく「味噌のカス」が語源だろうが、どういったものか簡単に言うと
「鬼に捕まっても鬼にならない」
・・・今思えば、「じゃあ、君たちはミソッカス(味噌のカス)ね・・」なんて言われて、「ウン分かった」なんて喜んでいたわけだが・・・今思えばこれってなんだか充分侮辱している言葉に思うのだが・・・
「君たちはミソッカスね」これを(WEB翻訳などで)英語に訳して再度日本語訳したら「てめえらはクソだ」になってそうだな(あ、これは自分の勝手な想像です)。
 話戻して、鬼に追いかけられ「きゃーきゃー」逃げまどい、捕まると「僕ミソッカスだもん」と宣言し鬼にならずに済み無罪放免・・・しかし2,3回と繰り返している内に心境異変に気付く。
逃げまどっている時ふと脳裏にある思いがよぎった
「これってつまんないんじゃないの・・・」
そうなると見方も変わってくるもの。
他の子がワイワイキャーキャー言って逃げまどっている姿を観察していると、追いかける鬼もミソッカスじゃない人を追いかけるときは真剣に追いかけ、我々ミソッカスを追いかける時は
「はいはいどーせ捕まえても意味がないんだけどね」
という手抜きの態度がちらほら見て取れた・・。
 それに気が付いてしまってからは全く楽しめなくなってしまった。
「どうせ捕まえても・・」と思いながら追いかける「偽りの鬼」に追いかけられ、「どうせ捕まっても何も変わらない」と思いながらも一応「キャーキャー」言ってみたりして「偽りの逃げまどう子」を演じていた(ああ、なんて空虚な鬼ゴッコ(笑))・・・いっそこれに気が付かなければ他の子みたいに何の疑問も持たず無邪気に喜んでおれたものを・・(嗚呼もう戻れないところに来てしまったのね僕)。
 一度、手を抜いて追いかけてきた人に捕まった時、何も語らなかったが目が合いお互いに苦笑い・・・きっと追いかける彼も自分の態度をみて察知し、目を見て確信したのだろう(笑)。それ以降その彼は自分と接触する事はなかった(笑)・・まあ、これはこれでおもろかったけど・・・。
でも今思えば、普通であれば相手にされないのだが、こうしてミソッカスというルールで遊んでくれた目上の人達は皆優しい人だったなあ・・・と思うが今はこんな綺麗なまとめは要らないので割愛。

 逃げる側は
「捕まったら鬼をやらされる=鬼はやりたくない=だから一生懸命逃げる」
という事に楽しみがあり、
追いかける方は
「捕まえれば追いかけっぱなしで疲れる鬼を辞められる=だから一生懸命追いかける」という所に「真剣に取り組める=楽しい」という要素があるのだと思った。
しかし、未だにミソッカスという状況で喜んでいる子をみて、お父さんが子供に「待てぇ〜」とわざと捕まらない程度に追いかけ、子供は「キャッキャッ」言って喜んで逃げまどう光景を重ね合わせ、追いかけてくれているお兄ちゃんお姉ちゃん方に「はいおつかれさん」と思いながら見ていたりした。
・・きっと大人からみたらもの凄く憎たらしいガキだったんだろうな・・・俺。
あ、これはギャンブルの記憶でなく自分のひねくれのルーツか・・・。 

 この後自分も周りも成長(?)し「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」「警泥(ケイドロ)」にギャンブル要素を加え進化させ白熱、他のクラスも巻き込み過激度を増し「賭け」故に怪我人が出たりしてチョットした問題になったりした事もあったのだがその話はまた今度。
(*ケイドロ・・警察チームと泥棒チームに別れ、泥棒は逃げ、警察が捕まえるという遊び、空き缶などを置いて警察が守り、それを倒すと捕まってしまった泥棒も逃がせる等のルールも地域によって違ってあった)

うーん、こうして思い出して書いてみると色々と思い起こす事や発見があるな、それに凄い昔の話なのに書いていたらあれもこれもと次々と記憶がよみがえってきて1人思い出し笑いをしてしまった(気持ち悪いぞ)。
・・・という事で、今後色々と振り返ってみようとおもう。
自分の無駄使いのルーツと反省材料にでもなれば・・あ、もしかしてボケ防止にもなるかも。

なぜこんな事を・・というと「また負けたから」という事もあるのだが・・。
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2006年05月17日

今日は

 10名弱(風邪をひいてしまいボーっとしておりあまり覚えとりません)。

 最近寝ようと思った時間に眠れず、昨日もやっと眠りにつけたのが朝6時。
会社でも6時位に1時間くらい仮眠を取れるのがやっと。時間にかかわらず仮眠を取ると間違いなく疲れていたり、寝不足で頭痛がしているのにも関わらず目が冴えて眠れなくなる。
こんな毎日で風邪をひいてしまう。

 久しぶりにジムに来た子がいて話をした。
彼は大学生で現在就職活動中で最終面接まで行った2社に落ちてしまいまた振り出しに戻ってしまったとの事。かなりストレスが溜まっているとの事でミットで思いっきり発散させてあげた(笑)。不況と言われる世の中、相変わらず状況は厳しいようだ。会社のバイトの子で納得いく就職活動が出来なかったからわざと留年(1つ単位落として)し、翌年じっくりと就職活動し直して入社したという子が居たので、そういうのもあるみたいだよねと話すと「僕は今5年生なので(笑)そういう訳にも行かないんですよね・・」
うーむ・・・頑張って欲しいものである。
 帰り道自分の頃はどうだったか思い出す。
ちょうどバブル終焉の頃で厳しくなって来はじめた頃だったが、まだバブルの名残があり、大学3年生の冬頃に(頼みもしないのに)リク○ートから何十冊も業種別の会社案内が送られてきた。資料請求や採用申し込みしただけでテレフォンカードをもらったりできたので、テレカ集めで興味のない所にもはがき出したりしていた。で、採用試験受けただけで帰りは電車賃といって2千円くらいもらったり、入社しても居ないのに、2次面接あたりで「この後懇親会があります」と酒を飲ませてもらったりという事もあった。業種によっては採用試験受けに行っただけで次は役員面接で合格・・・その後海外に研修旅行があるのでどうですか?なんて景気の良い所もあった・・・←さすがに逆に恐くなり敬遠したが(笑)。
まあ、自分は結構いい加減にやっていたのでいろいろと落ちて、実際決まったのは夏前だったが、入社後同期に聞いたらほとんどはみなその前年や1月頃には決まっていたらしい(この辺はコネの人ばかりだったが)。
そういえば就職協定みたいなのもあったな・・・確か会社側の新卒者採用の活動は7月(8月だったっけ)以降に解禁・・・みたいな誰も守っていない様な決まり事もあったっけ・・・自分はそれがあるからそんなもんだろうとのんびり構えていたが、入ってみて自分がギリギリセーフで滑り込んだ事を知り後から焦ったものだった(笑)。
 その頃ははがきや電話で申し込んで人事から返答来て・・・とやりとりがあったが、今はほとんどが採用のエントリーはパソコンを使用しWEBで行なっているそうだ。それに採用合否の連絡は自分の頃は最終面接が終わった後、人事の人間が
「採用となる方は本日夜何時頃にお電話致します。連絡の無かった方はご縁がなかったという事で・・・」とのおきまりの台詞(笑)を聞いて、家に帰り外出せずに電話を待っていたものだったが、これも携帯電話が普及した今はスタイルも変わっているのだろうな・・。
 まあ、今となっては学歴や新卒入社などとは関係ない所に居るのだが・・・今頑張っているその彼に、
「大丈夫だよ、何とかなるモンだし、何年後かにはそんなこと関係なくなるよ・・」と自分の例を挙げて言ってみようかと思ったが、実際自分もその時はそれなりに一生懸命やったはずだし(忘れたけど)・・・考えたら・・・自分って普通のサラリーマンと比べると結構特殊な例なのかも?と思うとその言葉は飲み込んだ(笑)。
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2006年03月29日

がっこの帰り道T

 ちょっと前から幼児が被害に遭う事件が多発しており、学校の登下校は子供達だけでなく保護者が付くべき等の論争もあり、どっかである人が学校の下校時にこそ学ぶ事が多い・・・みたいな事を言っていたのを聞いた・・・。
最初聞いたときは何を言っているんだ?と思ったが、ジムの帰りにふと、自分の頃はどうだったか・・・考えてみた・・・確かに学校帰りも遊びの一貫だったなぁ・・・。
そして電車に乗ったときふと思い出した。
 そう言えば小学校1年の頃は電車通学だったな・・・。
(神奈川から)新宿の学校に通っていた頃は、帰りに高層ビル巡りやデパ地下巡りをしたりして、学校帰りはちょっとした遊びの一貫だった。まあこれは以前書いた覚えあるので割愛(消去した管理者記だが)。

 小学校一年の頃、我が家の最寄り駅で降りずに終点まで行ったらどうなるのか?ふと疑問に思ったのがきっかけだった。
終電なのだからすごく遠い所にあり、いつもの自分の知っている駅と違ってなにか凄い駅に違いない(この辺がいかにも小1ガキの発想)・・・と勝手に期待がふくらんでついに我慢しきれなくなり、ある日ついに考えていた事を実行することに。 まあ、何をするという訳ではなく、ただその電車の終点まで行き折り返し帰ってくる・・・というだけなのだが・・・。
 小1の自分にとってはちょっとした冒険だったのだろう・・・行きは親に黙っていけないことをしているという気持ちも手伝ってかとてもワクワクした覚えがある・・・しかも電車の定期券は自分の駅までなので、乗り過ごした時点で駅員や乗務員がすれ違った時など(ばれるわけ無いのに)ばれやしないか?とドキドキした覚えもある(かわいかったものだ)。
しかし終点に近づき日が暮れるに従い、小学校1年の頃は学校からの帰りだけでこんなに日が暮れるという事は今までなかったので次第に不安になり、やっぱりするんじゃなかった・・・と後悔する始末。
 ずっと念願であったいつも乗る電車の終着駅に着き念願がかなったのだが・・・達成されてしまったら大して感動もなかった。(普通の駅だったし←当たり前)
この後芥川龍之介の「芋粥」を読んだときこの話を思い出した(わからん人は調べてください・・ちとニュアンス違うけど)・・・まあそれはさておき、念願達成の感動なんかより大変な事をしてしまったという思いしかなく、復路の電車内では早く我が家の駅に着いてくれ・・・とばかり思い冒険を楽しむどころじゃなかった。
(行きの何倍も遅く感じた)やっと駅に着きこれはまずい・・・という気持ちで駅から家まで走って帰った。
 案の定あまりにも帰りが遅い自分に親が心配して大騒ぎになっていたのだが、その騒ぎにちょっとヤバイかな(怒られる)と思い・・・思わず
「ごめんなさい・・・座っていたら寝ちゃったんだ・・・」としおらしく反省した顔で嘘を付いてしまった・・・この時初めて親に嘘をついてしまったのである(←嘘をつけ嘘を(笑))。
まあ・・・今じゃ酔っぱらって降りる駅寝過ごしたなんていつもだが・・・毎度で恥ずかしくて寝過ごしたと言わない時もしばしば・・・
〜話戻す〜
(駅から走ったので)息を切らしてすまなそうに謝る(嘘つきバカ)息子の様をみて、親は怒るどころか慰めてくれた(すまぬ母上)。
して親がその話しを皆にするものだから(「我が子のちょっとした冒険」みたいな感じで(親バカですな←(お前が言うな))・・・しかも周りから「大変だったねぇ」なんて言われたりして・・・何か近所や親戚中で自分がトラブルになり危機を脱してよく頑張ったね・・・「はじめてのおつかい」みたいな感じの美談になってしまい、今度は嘘をついたことで、その話が出るたびに心苦しくなり(俺も純粋だったのだ(笑))・・・ついに耐えきれなくなり「実は・・・」と嘘を付いていた事を告白した。

・・・とまあ普通に帰っていればこんな経験や思いをこういった事でする事はなかったであろうから「がっこの帰り道いろいろ学ぶ事ある論」はわかる気がする(本当か?)。

これがきっかけで学んだこと
・終電まで行ったら同じ電車がそのまま折り返しになっていた事(後からそんなこと当たり前と分かったが)。
・(小1にして)キセル乗車を覚えるきっかけになった。(態度に出さなければ大丈夫という事も←・・・)
・変に良心の呵責に責められても告白する必要なく美談のままで終わらせておけばよい時もある(後で怒られてやっぱり告白するんじゃなかったと後悔した)
しかし今思えばこの件があってから親はあまり自分には余計な心配をしなくなり、放任主義へと変わった転換期であったと思う。
見放された?のか「この子は大丈夫」と思われたのか・・・はたまた信用を失ったのか?その真意は当時の親のみぞ知る・・・という事だが。

などと考えていたら駅に着いた。

あ、えーと今日のジムは12、3人くらいだったかな。
posted by 昼間部 at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2006年03月07日

三角すい T 〜ライバル達〜

 3/5興業の為ジムに荷物を取りに行った時の話。
ジムに入ると日曜だが結構人がおり自主練習をしていた。
セコンドの荷物の準備をする。
060305.jpg軽い旅行気分でした♪(笑)
すると後ろから「お久し振りです・・・」との声がして振り向くと、練習生のF野君であった。
彼は普通に会社務めをしており以前自分が土曜コーチの時は良く会ったが、自分が平日しか入らなくなって顔を会わせることが無くなってしまっていた。
普通に会社に勤めながらプロテストに合格した頑張り屋でもある・・・というより自分のTシャツコレクションに火を付けた1人と言った方が自分としては適切だ(何の話かって?過去の管理者記参照・・・ってブログにする前のヤツは容量の関係でサーバーから全部削除したんだった・・ハハハ)。
sannkakusui.jpg私のライバルの1人F野君(顔は許可もらうの忘れたのでミイアキャットの顔を被せました)
ミイアキャット・・・食肉目ジャコウネコ科・体長約30cm・南アフリカ/ボツワナ南部などの半砂漠地帯に分布・マングースの仲間

で、着ていたTシャツが「三角すい」・・・うーん以前このシャツを手に入れたとは風の噂で聞いてはいたのだが・・・しばらく見ない内にまた腕を上げたな・・・(くやしい)。
せっかくだから過去のTシャツコレクションの画像(自分のPC内は生き残っているので)をアップ!まずはライバル編
sibetyou.jpg彼も自分に影響を与えた1人・通称シベ超(シベリア超特急)氏(自分だけが呼んでいたのだが)
シベリア超特急・・・水野晴郎先生の一部マニアには熱狂的な映画・・・以前深夜にTVで映画流していたの見たけど・・・是非皆さんも見てください(どうなっても知〜らないっと)
10.5-yaoi1.jpgシベ超氏のコレクションの一つである矢追氏のシャツ
矢追純一・・・知らない人は面倒だから勝手に調べて(笑)(「矢追純一 UFO」で検索すれば見つかるはず

そしてもう一人S野君(元気かな)
9.3-5.jpg練乳チロチロリン・・意味不明9.3-6.jpgで、後ろも意味不明

ついでにもう一人(元気かな・・・宝くじと聞く度に君を思い出すよ)
9.3-9.jpg宝くじ売り場でバイトしていたと言う「チャンスセンター君」(勿論自分が勝手に命名)

kooti.jpg○山コーチも参戦(隣は自分だけど)

ああ、あの頃はライバルがたくさん居た黄金期であった・・みんな元気だろうか?

・・・って違う話しようと思ったんだけど・・・まあいいか・・・。

続く
posted by 昼間部 at 03:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2006年02月28日

眠れなくて・・・

 ある男が旅に出て外国のとある田舎町に辿り着いた。
特にこれと言った観光場所もなく、何となく町に出てうろついてみる事にした。 その町は田舎の為近代的な建物もなく小さな家が石畳の道を囲む様に建ち並んでいた。
 かなり歩き回り日も暮れてきた頃、そろそろ宿に戻るか・・・時計を見ようとしたが宿に時計を忘れてしまっていたのを思い出した。辺りを見回すとすぐ近くに老人がしゃがみ込んでいた。
老人の前には石畳に布を敷いてあり、そこに何やら民芸品の様なモノが並べられていた・・・行商人であろうか?そして老人の目の前には年老いたロバが立っていた。恐らく積み荷をそのロバに載せ運んできたのだろう・・・。
男「すみません・・・今何時でしょうか?」
男は老人に時刻を尋ねた。
老人「んあ・・・時間?」
しかし老人は分からなさそうな様子だったので
男「あ、いえ、いいです・・・」と断わり立ち去ろうとした時
老人「ちょっと待て・・・」
と言って老人はしゃがんだまま体を前に起こし、老人に背を向けて立っているロバのキ○タマを持ち上げた。
老人「○○時○○分じゃ」
男「?あ・・ありがとうございます」
ロバの○ン玉の重さで時間が分かるのか?一応礼を述べ宿に戻った。
そんなばかな・・・と思ったが宿に戻り時計をみると時間はほぼあっている様に思える・・・そんなはずはない。
 翌日特に何も見所の無い所なので早々に立ち去ろうと思ったが、老人の事が気にかかり、今度は時計をもって昨日老人のいた場所に行ってみた。
すると老人は昨日と同じく商品を道に並べロバの背後にしゃがみ込んでいた。
男はまた時刻を尋ねた・・。
すると老人はまたロバのキ○玉を持ち上げて時刻を答えた・・・ピタリと合っている・・・そんなことあるのか?
男は意を決して老人に聞いた。
男「貴方はロバのキン○の重さで時間が分かるのですか?」
老人は驚いた顔をして言った。
老人「あんた何を言っているんだ・・・アレを見たんだ」
老人がロバのキ○玉を持ち上げた先には町の時計台が見えたのであった。

・・・眠れなくていろいろ考え事していたら何故か小学生の頃聞いたこの話を鮮明に思い出した・・・で、目が冴えて寝るのあきらめたが、する事無いので書いてみた。
・・・なんかおかしな事になっているな・・・俺の脳内(これもグルエース効果か?)。
posted by 昼間部 at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2006年02月11日

HANAGE

 先日北海道旅行に行っていた友人から画像添付されたメールが届いた。
ニセコにスキー&温泉に行きその後札幌に行ったそうだ。
ニセコはオーストラリア人がたくさんスキーをしに来ているらしい。
雪質や値段その他諸々でオーストラリア人にはここ数年大変人気らしい。
(そういえば以前ニュースでそんなこと言っていたな)
札幌は雪祭りの前日だったそうだ。
で、この絵と似たような画像が添付されていた。
hanage.gif
画像は掲載するの辞めとく・・・近似画で
てっきりスキーとか温泉とか雪祭りの模様の写真かと思ったのだが・・・。

「鼻○を抜いたら枝毛だったので珍しいと思って送った」との事
(枝毛というか真ん中が裂けているが・・・)
○○よ・・抜くより鼻毛カッターを使いなさい(前に買ってただろ)
ちゅうかこんな画像わざわざ送ってくるな!
君の2泊3日の旅の思い出は鼻枝毛か!!

 ○毛カッターついでに話すがかなり昔に親戚からドイツに旅行のお土産としてこれをもらった事があった。
image/ogunigym-2006-02-11T02:50:59-1.jpg先を鼻に突っ込んで回す
ドイツと言えばナイフや包丁も丈夫で品質が良い事で昔から有名だが、さすがに土産では多量に持ち帰るのは難しいので、かなり昔から(今はどうか知らないが)ドイツ土産は鼻毛カッターが人気なのだそうだ・・。
(「鼻毛カッター ドイツ」で検索したら名品として多数ヒットした)
以前使った時は・・・良く切れたことは切れたが、重なり合った刃を回転させるので切れずに引っ張られる毛もたまにあり、抜いているのと同じ痛みがするときもありあまり使わなかった。
最近引き出しからひょっこり出てきたので回そうとしたが錆びてしまいびくともしなくなっていた。

 ついでに思い出したのが、中?高生位の頃・・・
その年頃は誰しも迎える思春期、言い換えれば鼻毛にも人一倍神経を使っていた頃(んなこたぁない?)。
・・・今では鼻毛も伸び放題で放っているが(嘘です)、洗面所で鏡見てそれなりに(今思えばたいして変わらないけど当時は必死)身だしなみをしていた(つもり)時。
かなり強力なボスキャラ級の大物(つまり太い鼻毛)を発見。
何とか退治しようと試みるがうまく取れず・・・抜くのは痛いので何かうまい方法は無いものか・・・と洗面所を見渡すとこれ発見!
2.11.jpgこんなの
・・・確か当時TVCMで
「綺麗なお姉さんは好きだとか嫌いだとか・・別れるだとか付き合うだとか(適当です)」
ってうたって無駄毛処理商品をおしゃれ風に言い換えて売っていたけど・・・まさにそれが置いてあった。
スイッチオン・・・「ガガガガ・・・」思った以上に大きい音にビビリながらも恐る恐る使用する(鼻に突っ込む)とあれほど言うこと聞かなかった彼等があっという間に一刀両断!
「凄いぜ」思わぬ発見に興奮しながらついつい欲がでて、短めに切っておけば効き目長持ちだな・・・ともう少し奥に突っ込みカッターを回転させた所・・「痛っ」毛を抜いた痛みとは違った痛みが・・・。
鼻水かなと思い鼻かんだらティッシュが真っ赤だった・・・。
(その後はこの方法は危険と判断し封印)
しばらくして同じシリーズで電動の鼻毛カッターが発売されていた・・・という事は同じような事したやつがいて痛い思いして、要望が多数メーカーに寄せられて商品企画部かなんかが緊急会議を開き
「鼻毛専用のカッターを製作しよう」
という事になったのだろうか(絶対違うと思う)。
posted by 昼間部 at 02:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出